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ニーハオ!たまごとじです。
もうすぐ梅雨ですね、
食べ物やサッシの汚れはもちろんですけど押入れ
に注意してください!!
押入れって気づかない間にカビているのでなんとなく押し入れにしまった
本とか楽器はカビに要注意です!!(私は大きなゴミ袋に乾燥剤と一緒に入れています)
さて、今回からは中国で最も美しいと称される古城
鳳凰古城をご紹介していきます。
初回の今回は鳳凰古城ツアーならまず行くことになる(笑)
「沈従文」と沈従文の生家までの道のりを紹介します。
あなたが実際に鳳凰古城を訪れた時により楽しめるように予習として
見ていただけたらと思いますが、てっとり早く美しい景色がみたいと思われる方は
さらっと見ていただいて結構です。
ではゴートゥー鳳凰!!
鳳凰古城とは?
鳳凰は貴州省と境界を接する
湖南省西部山間部の盆地に位置する小さな町です。
ミャオ(苗)族などの少数民族と中央政権が境界を接する要衝でしたが、
明代の駐屯地として整備され、近辺には長城の建設が開始されました。
その後1700年{清の康熙(こうき)39年}に県に昇格しました。
明清代の建物が残る鳳凰は沈従文(しんじゅうぶん)の小説「辺城」
で広く知られるようになり中国有数の古鎮(古い町)として有名になりました。
経済発展に伴い多くの観光客が訪れるようになり、観光の整備も一層進んだのです。
沱江沿いに広がる町には、明清代の古民居が多数残っており、
これが鳳凰古城の最大の見どころとなります。
鳳凰古城の位置
まず張家界への行き方を過去の記事から参考にしてください。
ツアーではあまり気にすることはありませんが、
車での所要時間の目安は張家界まで4時間、長沙まで5時間30分 銅仁まで1時間10分くらいです。
鳳凰唯一の公共交通機関はバスです。
バスターミナルは鳳凰古城の約二km北西の沱江北岸にあります。
鳳凰のオブジェ
では実際の行程を見ていきましょう。
ホテルからバスで鳳凰の西側の駐車場へ向かいました。
赤丸の範囲からスタートです。鳳凰のオブジェのある文化広場に行きました。
駐車場では係の人が三人でカップラーメンを立ち食いです。
さすが中国!連れションならぬ連れラーメンです。
前にあるのが「政府賓館」となっています。
和堂街をぬけます。
もうこの建物がいい雰囲気出してます。
時代劇にでてくる屋敷のイメージそのままです。
文化広場にでます。下の2箇所に向かいます。
賑やかな広場です。
ポップ・ミュージック?が流れていました。
広場の中心には鳳凰のオブジェがあります。
アップでみるとちょっと間抜けな表情に見えます^^;
民族衣装のレンタルもあるようです。
ここをまっすぐいくと鳳凰城の門です。
この通りの屋根のまっすぐの並びが美しいですね。
Aの数が4つです。
5つになってから世界遺産に申請するそうです。
これだけの美しさですから世界遺産に認定されてほしいですね。
ここがチケット売り場です。
各見どころに入るにはチケットが必要です。
黒い犬がいました。
キョンシー映画で
子犬の血を儀式に使う場面を思い出しました。
案内板です。沈従文の生家がこの先にあります。
すごい迫力。街全体の気品あふれる佇むを感じます。
建物の美とは建物の高さじゃないですね。
記念撮影スポットです。
細い道を歩きます。
道の両側にお店がびっしりです。
それぞれがポップスや民謡など
好きな音楽を流してるので
普通の商店街のようです。
おじいちゃんの笛屋さんです。
吹くよ吹かないよっとおちゃめな感じです。
見事な笛の音色に
お客のおっちゃんもサムズアップ!
となりが沈従文の生家です。
沈従文(しんじゅうぶん)の生家へ
沈従文は鳳凰出身の歴史家・作家で祖母はミャオ族、父は漢族・母はトウチャ族です。
1936年に発表した小説「辺城」で1920年代の鳳凰の様子を生き生きと描写し、
中国人に鳳凰を知らしめました。この作品はこの家で書かれたそうです。
現在では遺稿など彼に縁のある品々が展示されています。
入ってすぐです。沈従文の略歴でしょうか?
沈従文の作品・写真が並びます。
隣の建物に移ります
写真は昔の鳳凰です。1937年ごろだそうです。
1946年の沈従文が写っています。
西南朕(連合)大国文系とあります。
1937年ごろに日本が北京を占領してから
蒋介石は大学の人たちを田舎に避難させたのだそうです。
中国で一番の田舎でミャンマーとの境にある昆明です。
そこで清華大学 北京大学などと合体して造ったのが
西南連合大国(大学)だったのです。
しかしネットで調べてもでてこないのでよっぽど
マイナーな話なんでしょうか?
この写真の中の幾人かの著名人は
ガイドさんの中学時代に教科書の題材で学んだそうです。
しかし沈従文は難しい文章を書くため
大学でしか扱わないのだそうです。
沈従文は教師をしていましたが小説も書いていました。
中国で一番有名な小説家は魯迅(ろじん)
であるが2番目はこの沈従文なのだそうです。
隣の部屋に行きます。
気合の入った衣装を着たガイドさんとすれ違いました。
ここはお父さんお母さんの部屋です
ベッドがあります。
ミャオ族のベッドで装飾が素晴らしいです。
このベッドで沈従文は生まれたそうです。
ちなみに子供は9人生まれましたが無事大人になるまで
成長できたのでは5-6人だそうです。
主に湖の近くで伝染病が流行り
一年くらいで死に至ったといいます。
衛生状態も悪かったようです。
ここは25歳まで暮らした部屋です。
1980年台に病気になり北京から来るまで帰ってきたそうです。
ここにあるのは彼の70~80年台の写真です。
ラジオやレコードがあります。
「辺城」を書いた机です。
大理石だそうです。
昔の加工技術は未熟なため長い年月のなかで割れてきて
しまっているそうです。
「辺城」は一人の女性と二人の男性の恋愛物語
街の風情をふんだんにもりこみながら
古い街の生活習慣なども描かれていたそうです。
彼はこの作品で一気に有名になりました。
文豪にあやかりたいと
触ってきました!!
中庭にあるのは溜池ならぬ貯め瓶です。
この水は防火用水だそうです。
今は縁起がいいとお金を入れる人がいるみたいです。
最後の建物です。
彼の作品だけでなく」関連作品として他の人の作品が置かれています。
最後に
いかかでしたか?
普段、日本で沈従文の名を聞くことはあまりないと思うので
少々退屈だったかもしれません。
しかし、次回以降出てくる鳳凰の風景を見ていくと
そこを舞台にした小説にも興味が湧くと思います。
沈従文の作品は日本語にも訳されています。
うちの近所の図書館でも24件ヒットしました!!
是非、次回以降の鳳凰の紹介をお楽しみにしてください。
では最後までお読み頂きありがとうございました。
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