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どうもこんばんは、たまごとじです。
プロボクサーの井岡一翔(いおか かずと)選手が日本人初の四階級制覇を果たされましたね!
このニュースを聞いた時には皆さんビックリしたと思いますが、私もその1人です。
リアルタイムでは見れませんでしたが、
LINEのニュースの通知をみて胸が踊って方も多いのではないでしょうか。
今回はその井岡一翔選手の基本プロフィールから、現在に至るまでのボクシングの簡単な経歴
や、引退と復帰・谷村奈南さんとの離婚・元モデルさんとの再婚
についてまとめましたので、ご覧ください。
井岡一翔選手、本当におめでとうございます。
井岡一翔 選手が四階級制覇
2019年 6月19日、千葉県・幕張メッセにて
WBO世界スーパーフライ級(52・1キロ以下)の王座決定戦12回戦が行われました。
井岡一翔選手(30歳)と戦ったのは
アストン・パリクテ選手(28歳)(フィリピン)です。
試合前に井岡一翔選手は
「これは最後のチャンスです。私のキャリアにとって非常に重要な戦いです。」
と語っていました。
身長が173cm、リーチが173cmもある
KO率75%を誇るハードパンチャーのパリクテ選手に対して
身長が166 cm、リーチが169・2cmで、
スピード、スキル、精度など技術が売りの井岡選手は
試合前からやや優勢に思われていました。
賭けのオッズでも
井岡一翔 1.61 :アストン・パリクテ 2.25
となってしました。
蓋を開けてみると
前半パワーで押したパリクテ選手でしたが、
技術が上の井岡選手が守り切り
最終的にスタミナ切れのパリクテ選手を
井岡選手がカウンターからのラッシュで快勝する展開となりました。
10ラウンドでのテクニカルノックアウトでした。
素人目にも井岡選手の冷静でいて試合の流れを支配し攻めるときはとことん攻める
ファイトが好印象でした。
井岡一翔選手は試合後のインタビューで
「ありがとうございます。感謝の言葉しかないです。復帰してこの試合に向けて、僕以上に期待してくださった皆さんに、この勝利をささげたいと思います」
と述べられています。
これで具志堅用高さんを抜き、
国内ボクサーで世界戦勝利数15となり単独首位となりました。
これからは防衛戦ですね。とても楽しみです。
井岡選手の家族・学歴 プロデビューまで
井岡一翔選手の生年月日は1989年3月24日、現在30歳です。
大阪・堺市の生まれです。
お父さんは元プロボクサーである井岡一法さんです。
井岡ボクシングジム・プロフェッショナルの会長を務められています。
ご両親のほか弟さんが二人おられ5人家族でした。
また叔父さんに元世界2階級制覇王者 井岡弘樹さんがいらっしゃいます。
井岡選手が、中学1年の時に叔父の井岡弘樹さんが所属していた
グリーンツダジムでボクシングを始められました。
中学3年生の時に
井岡弘樹さんが設立した井岡ジムへ移籍されます。その後、
大阪市天王寺区の興国(こうこく)高校でボクシング部に所属され全国6冠を果たします。
その後、東京農業大学を中退し
2009年、井岡ジムからプロデビューされました。
井岡選手のプロボクシング歴と谷村奈南さんとの結婚
2011年からの活躍は目覚ましく2月にWBC世界ミニマム級王座を獲得され
この時の試合後のインタビューで
4階級制覇を宣言されています。じつに宣言から8年で目標達成されたということです。
2012年6月にはWBA世界ミニマム級王座を、2012年12月にはWBA世界ライトフライ級王座を獲得。
2015年4月にはWBA世界フライ級王座奪取で3階級制覇をされました。
その後順調に防衛戦に成功されていました。
2017年5月17日にはあの「セクシーセニョリータ(売上34,286枚)」で有名な?谷村奈南さんと結婚されました。
友人の紹介から出会い、友人関係から徐々に真剣交際に発展したとのことです。
交際報道が2015年12月にでてから約2年と半年越しのゴールインとなりました。
9月10日にハワイで挙式されたとのことです。
しかし2018年の春ごろから別居生活が続いてるたとの情報があるなか、
2018年11月11日、谷村奈南さんからSNSを通し、井岡一翔選手との離婚を報告されました。
後述しますが、どうも井岡選手の女性関係が離婚の原因だったと思います。
はやり今回の4階級制覇のニュースが流れたあとでも、
谷村奈南さんのアカウントで
井岡選手に関するツイートは投稿されていませんでした。
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井岡選手の引退発表~復帰、そして現在
2017年11月9日、父親の井岡一法会長の口から
「(谷村奈南との結婚後、井岡一翔の練習が)コンスタントに出来ていない。準備が間に合わない。指名試合で、相手を待たすわけにもいかないし。いったん返上しようということになった。」
とWBA世界フライ級王座の6度目の防衛戦を返上する旨を発表しました。
そして2017年11月13日、井岡一翔選手のWBA世界フライ級王座の返上が公式サイト上で発表され、
12月31日井岡選手自身の口から
「ボクシングを始めたきっかけでもある3階級制覇をかなえたときに引退しようと思いました。
ボクシングを続ける中で自分のさらなる目標を見つけたので、
今年4月の5度目の防衛戦の前に引退を決意しました」
との引退報告の発表がありました。
記者から「今年5月の結婚は引退に影響したか」と聞かれ
「今までずっと一緒に闘ってきたので、影響はしていない。妻の存在自体が僕の支えでした」
と練習ができていない原因とされた奥さんの谷村奈南さんを擁護する発言もありました。
しかしその9か月後の2018年9月に米国で再起し、世界ランカーに判定勝ちし、
2018年大みそかにもマカオでのWBO世界スーパーフライ級王座決定戦に出場しました。
ドニー・ニエテス(フィリピン)選手と接戦になりましたが、
1―2のスプリットデシジョン(審判の採点割れ)で判定負けとなってしまいました。
2019年の今回再び同王座決定戦出場のチャンスを得て、
17カ月ぶりに帰ってきたリングで快挙を達成したということです。
かつて
「4階級王者になることが復帰のおおきな理由です。日本のボクシング史上例のない記録であり、
その記録を打ち立てたいのです。」
と語っていたことを振り返ると、その決してあきらめない有言実行の精神に脱帽させられます。
また私生活では2019年3月には30代前半で元モデルの一般人女性との再婚のニュースが報じられました。
おつきあいは離婚前からあったようですが、交際期間約3カ月のスピード婚だったようです。
奥さんは2019年8月下旬には井岡選手の子どもを出産する予定とのです。
つまり離婚発表の前後の時期である2018年の11月初旬~中旬頃には
新たな希望を宿されたということです。
もう別れることがきまった上での行為だったのか
すでに関係があったから離婚になったのか
それは当人たちにしかわかりません。
いずれにせよ離婚当時、谷村奈南さんが
事情を知らない人達に叩かれていたことが残念です。
また4階級制覇をきっかけに
「近々(婚姻の)届けを出します。王者となってからと思っていた」
と明かされたました。
妊娠が判明しても婚姻届を出さなかったのは疑問ですが、
それは必ず勝やなければならないというプレッシャーを自分に課したということなのでしょうか?
しかし本当に4階級制覇したのですから奥さんもほっとされたことでしょう。
ぜひ、幸せな家庭を築いて頂きたいものです。
最後に
井岡選手はこれで、
ミニマム級・ライトフライ級・フライ級・スーパーフライ級の4つを獲得され
四階級制覇を達成されました。
次なる野望も楽しみです。
日本人ボクサーとして歴史に名をのこした井岡選手
にますますのご活躍とご多幸をお祈りして締めくくりたいと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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