麒麟が来る!第02話のあらすじ紹介と感想、土岐家との関係など(2020,1,26放送分)

スポンサーリンク
ドラマ
Sponsored Links

この記事を読むのに必要な時間は約 15 分です。

どうもこんにちは。

今回は「麒麟が来る」第2話について書いていきます。

記事を書くにあたりこの時代のことをちょっと調べてみました。

私は高校の時に世界史を取ったので日本史から随分遠ざかっていたのですが、

調べれば調べるほど面白いことがわかりました。

今は YouTube などで楽しく歴史を学べることができて良い時代になったと思います。

では「麒麟がくる」第2話のあらすじ(ストーリー)、感想、土岐一族と斉藤家の関係など

について自分なりにまとめてみましたので

良かったら参考にしてみてください。

スポンサーリンク

「麒麟がくる」第2話 道三の罠 のあらすじ(ストーリー)

織田の軍勢迫る!

ナレーション

「天分16年秋。

尾張の織田信秀は 2万の兵を率い 美濃との国境に陣を敷いた。」

美濃の稲葉山城下では農民たち逃げ惑っていた。

ちょうどそこに京から帰ってきた明智光秀(十兵衛)一行。稲葉山城に急ぐ。
敵は織田信秀(尾張)であること確認する十兵衛。
叔父の明智光安から敵の数は2万だが味方はわずか4000ほどと聞かされる。

どの城も自分たちの領地を守ることしか考えていないので援軍が望めない状況だった。

しかし、十兵衛が謁見した時、美濃の領主・斎藤利政は自信ありげな様子だった。
「孫子の『敵を知り己を知れば百戦危うからず』を忠実に守って戦をしてきた。

織田信秀のことは夫婦の寝屋までも知っている。

信秀に人望はなく その軍勢は金目当てか義理で集まった兵なので脆い

勝つ策を思いついたと」と 。

十兵衛に鉄砲と医者は用意できたか?と確認をする利政。

どちらも首尾よくいったことを報告し、
十兵衛が「美濃のもあのような街を持ちたい」と堺の町の感想を答えると
「その気持ちを忘れるな豊かであれば無用な戦もせずに済む。」

と旅の成果を褒めたたえた。

十兵衛が去ろうとしたとき、
「渡した金の半分は返せ」と言ってきたのだった。
もらった銭を鉄砲代に取られていて困った顔の十兵衛を見て

「返す宛てがなければ戦で返せ、この度の戦で侍大将の首を二つとれ」という利政。

十兵衛は小見の方の部屋へ案内された。

と、そこには利政の娘、帰蝶が待っていた。
二人は旧知の仲で数年前に明智の荘で会ったぶりだった。


帰蝶の母に医者を連れてきてくれたことに対する礼を言われる十兵衛。
その時知らせが入る!織田の軍勢が木曽川をわたり
城下めがけて進んできているというのだ。
十兵衛は出陣する!

織田の大群は木曽川を越えて村々を放火しながら稲葉山城下に進行していった。
美濃の軍勢も抵抗する。
激しい戦いで両軍とも兵を失って行く。

侍大将を探す十兵衛 。
美濃の軍勢は劣勢で田代城、小熊城など次々と落城されていくのだった。

籠城戦の真意

利政は決断し兵を城に戻させる。
「籠城いたす」と言うのだ。

退き鉦(ひきがね)が響き、戦っていた十兵衛も悔しさを滲ませながら退却しはじめる。

その音は織田信秀も聞き、

「われらの勝ちに 疑いない」と気勢をあげる!

門を閉じる美濃の軍。
しかし織田軍は投石機を使ったり
門を超えて火のついた藁の塊を転がし落とすなど攻撃を続ける。

門を閉じた美濃の軍では、各領主は籠城に不満をもっていた。
十兵衛もまたそうだ。
「侍大将の首を二つ取れと言った割には退却の鐘が早すぎる。」
「籠城などしても兵や民を食べさせることはできない。」と。
しかし利政をどうやって納得させるのか?利政の息子の高政も頭を悩ます。

一方織田軍は、 城内に忍び込ませた忍びから兵士や民に食事や酒が振舞われていることを聞く。
「今日はやる気なしということか」と判断した織田信秀。
家臣からは「一気に攻めては?」という意見もでたが

「山城攻略は難しく、兵が無駄に減るのは得策ではない」との意見もでた。
後者を採用した織田信秀は明朝、総攻めとすることに決める。

これが利政の策だった。

実は酒が振舞われていたというのは嘘で、
場内に忍び込んだ敵(忍び)に偽の情報を流させ、
織田軍を油断させるためのものだったのだ。

すぐに全軍を集め、門を開き、織田軍を追い打ちするよう命じる!利政

油断していた織田軍は次々とやられていく。
虚をつかれたことに気づいたを織田信秀。
十兵衛もまた侍大将をうち取り次々進撃する。
しかし敵の侍大将を捕まえたと思ったら叔父の明智光安だった?

ついに織田信秀のところまで美濃の兵がたどり着いた。
総崩れの織田軍!ついに美濃の軍は織田を退却せしめたのだった。

Sponsored Link

 

 

裏切者は?

その夜稲葉城では勝利の宴が行われていた。
負傷兵で騒然とする城内。

城の中で十兵衛が見たのは織田軍にやられた?と話す叔父の明智光安。
十兵衛はいぶかしがりながらも問い詰めたりはしなかった。
東庵にその時のことを話す十兵衛。
「敵の侍大将を討ち取った時に、叔父の顔に似ていたがために首を取るのをためらった。
その時妙な事を思った。」

「これが武士の本懐かと武士の誉れかと。こんなことが。
しかし戦は戦だ。打たなければ自分が討たれる。
戦がある限り 勝つしかない。
首を落とすのをためらった自分は愚かだ」と言った。

東庵は
「良いではありませんかそれでお勝ちになった。」と答え、
けが人を手当て居ていた駒もまた十兵衛に
「おめでとうございます」と祝福するのだった。

守護代である土岐 頼純(とき よりずみ)(演:矢野聖人)が利政の元を訪れた。
「この度の戦勝は土岐家にとっても一代の誉れである」と利政を持ち上げる。
だが帰蝶は不満げだ。
帰蝶が夫である頼純に

織田と美濃はどちらが勝つと思っていたか問うと
美濃だと答える頼純。
2万対4000の勝負だから(一応)心配はした、と言うが帰蝶はさらに問い詰める!

「ならなぜ武具を身につけてこなかったのですか?」
「土岐家は源氏の流れを汲むもの、
苦戦すると思うのならば共に戦うことをなぜ思わなかったのですか?」

頼純は「勝つと思っていたから(着てこなかった)、、思慮が足りなかったかもしれん」と苦しい言い訳をする。

父である利政に対し「我が夫をお許しください」と頭を下げる帰蝶。

利政は帰蝶に席を外させ頼純とさしで話をした。

帰蝶は頼純が今回の織田の挙兵に関わっていることを知っているという前置きをして、

頼純にこう言った「織田信秀と取引されましたな」と衝撃的な言葉だった。
「織田が斎藤利政を討ち取った暁には 相応の領地を与える」と。

とぼける頼純「誰がそのような戯れ言を?」
ここで利政が証拠を提示する。

3ヶ月前に信秀の舎弟、織田信康に頼純が書いた手紙にそう書いてあると手紙を差し出す。
「もともと土岐家は尾張の織田家とは深い絆があり 事あれば助け合うことは分かっていた 。
しかし身共を討てとは心外千万」
「美濃のため、土岐家のためにどれほど尽くしてきたかよくご存知のはず」

と頼純の裏切りを暴き断罪したのだった!

頼純が反論する!「土岐家のためにどう尽くした?
叔父の(土岐) 頼芸(とき よりのり)をそそのかし
わが父頼武(よりたけ)を守護の座から引きずり降ろしたのはそちであろう。
愚かなおじは守護の座にしがみつき、そちの言いなりだった
この美濃を飲み込まんとするマムシが大きな口を開けていることにも気づかずにな」

頼純はさらに続ける。
利政の父親は身分の卑しい油売り!それを土岐家が温情をかけ世に出してやった。
その恩を忘れ土岐家を二つに割いたと。

「この成り上がり者」

と声を荒げる!
利政は静かに返す「恩を忘れたのはどちらでございます ?

身共に背いてばかりのあなた様を守護の座にまでお付けし、娘まで差し上げたのじゃ。」

「それがどうした、言いなりにはならぬ!」

と頼純は出ていこうとするが、
利政は「この城の城主は身共、勝手にでてはいけませぬ。

さあ、あなたさまにも不満があるでしょう、じっくりと聞かせくだされ」

と再び座らせる。

自ら茶を点て頼純に渡す利政。
「近頃農民の間で風流(ふりゅう)踊りというものが流行っておりまして」といって利政が歌いだす。
「♪おもしろや、この宿は、縦は十五、横七里、薬師詣ででその道に ~」

茶を飲んで急に苦しみ倒れる頼純!
毒を盛られたようだ。

その目は憎しみで燃え上がっていた。

利政は表情を変えることなくその死にざまを見つめていた。

Sponsored Link

 

 

第二話の感想

やはり今回の目玉は合戦のシーンでしょう。

さすが NHK の潤沢な資金で映画のような大掛かりなセットと大人数の鎧武者の戦闘シーンは見応えがありました。

帰蝶と十兵衛の再会のシーンで何やら色気があり?これからの展開が気になります。

結局十兵衛が傷を負わせた侍大将はおじだったのか?いまいちはっきりしませんでしたが、これから明かされていくのかもしれません。

 

今回の主役は 斉藤 利政でした。

もっくんの悪そうな演技がとても良かったです。

最初はちょっと演出過剰だと感じましたがだんだん見慣れてきました(笑)

川口春奈さんもよかったです。次回も楽しみですね。

劇中にあった土岐一族と斉藤家の関係とは?

土岐一族と斉藤利政の父親との関係について少し調べました。

美濃の守護代・土岐政房の長男 頼武(よりたけ)(別名:政頼)と

次男 頼芸(よりのり)の権力争いに、

斉藤利政の父親 長井新左衛門尉(ながい しんざえもんのじょう)が関わっています。

 

長井新左衛門尉はもともと北面武士で「松波庄五郎」といいました。

京都では油の商人「山崎屋庄五郎」と名乗っていました。じょうごをつかわず油を注ぐパフォーマンスで人気だったようです。

ある日、土岐の侍に「油売りのパフォーマンスを武芸に行かせば成功する」と言われ、槍と鉄砲の修練をし武芸の達人になったそうです。

子どものころに法蓮房の名で僧侶となった縁をたよりに美濃の小守護代(守護の代官)だった長井長弘に仕え、断絶していた家臣筋の西村氏の名を継ぐことになり「西村勘九郎(正利)」と名乗りました。

才能を認められ、土岐政房の次男である土岐頼芸の信頼を得て

「長井新左衛門尉」を称するようになりました。

土岐頼芸と土岐頼武との守護争いで頼芸に加勢し、頼芸がに守護なるのを助けました。

美濃守護代の斎藤利良が病死すると、その名跡を継いで「斎藤新九郎利政」と名乗ったとされていますが、これはたぶん息子のほうだと思うのですが、定かではありません。
斎藤利政 は、その出自が父親と同一人物視されるほど前半生が不明ですが、下克上大名としても有名です。

劇中で頼純に「土岐家を二つに割いた」のは長井新左衛門尉だと言及していますが、2人の父である土岐政房が弟の頼芸のほうを溺愛していたとも言われており、2人の対立で戦が何度も行われていたので一方的に長井を攻めるのはどうかと思いました。

ちなみに十兵衛の明智氏(あけちし)は、清和(天皇の血筋の)源氏土岐氏の支流氏族でもあります。

Sponsored Link

 

 

下剋上の時代

「この成り上がり者」という印象的なセリフに現れている通り、

下克上という言葉はこの時代より約100年ほど遡り
1467年の「応仁の乱」の頃の言葉です。

室町幕府を築いた足利尊氏の政策で守護の力が強まり、 守護大名となっていきました。
人々の生活は明(中国)との勘合貿易で豊かになり、その実権は有力な大名に握られるようになりました。
足利義満の死後、有力な大名同士の争いが発端となり応仁の乱が起こりました。
全国に飛び火しこれから戦国時代と呼ばれる時代となり100年間続きました。

当時、守護大名の家来が大名にとってかわる。
そのことを下克上と呼び、まさに実力主義の世界だったのです 。

最後に

いかがだったでしょうか?

「麒麟が来る」第2話は、視聴率が17%台ととても好調ですね。

ぜひこの面白さを持続したまま突き進んでほしいと思います。

今回鎌倉時代あたりから勉強し直しましたが 争いにつぐ争いで

平和を維持する制度創りの難しさを感じました。

では今回は以上です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました